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日本とイスラーム 

 

(1)今日の日本人の宗教概念

 

周知の如く、我国には古来固有の日本神道と千数百年以前にインドから中国、韓国を経由して渡来した仏教が広く国民の間に伝教宣布され、国民は篤くこれらを信仰してやまなかった。その後近世に入って、ヨーロッパから来た外国人宣教師によってキリスト教が九州や西日本の一部に伝道されたが、徳川幕府の禁止令によって一時ストップした。しかし明治維新後は自由が認められ、再び開放された。

 

1945年の日本の第二次世界大戦敗後は、従前国民の精神的支柱として信仰されていた神社神道に対する尊崇心は急に衰え始め、仏教もまたその説くところの教理が余りにも深遠高尚すぎて、現実世界とは遊離してしまった。そして葬式や先祖霊の供養、盆、彼岸などの法要のみの形式的で観念的はものになる傾向が顕著となった。

 

こうした情況と精神的空虚の時代に乗じて、現実に即して日常生活に密着した、しかも誰にでもわかりやすい教理を説いて大衆に広くアピールし、何か物足りぬ人々の心の空白を満たしているのが、ご存知の新興宗教、ないし新新興宗教である。中にはその宗教を通じて現実的にその政治改革運動の分野にまで進出し連携して異常なまでに大衆の人気を博し、急激に拡大発展しつつある宗教もある。

 

では本題のイスラームはいったいどうであったのか。慨して言えば、イスラームについては日本人の大多数があまりにも無関心であり無知、そして無頓着であった。その歴史をさかのぼれば、既に明治の中期すなわち今から90年ほど前にイスラームの先駆者たちによって開拓されたが、当時教勢はまだ弱く、明治、大正時代はごく限られた一部の人たちのみに信仰されていた。

 

その後、日中事変や大東亜戦争が勃発するに及んで、その提唱する大東亜共栄圏の中には数億のムスリム(イスラーム教徒)が各地にいることが知られ、一部の研究家の関心を喚起せしめた。その結果ムスリムとしてイスラームに改宗、帰依する者も少しは増え、従前ほとんど無かったイスラーム関係の図書もかなり多く出版されて店頭に現れるようになった。だが、日本の敗戦によって、食料、医療その他住宅難などのため、一時数年間はその獲得に全国民が狂奔するばかりで、イスラームの法灯は消えたような観があった。

 

ところが、そこに昭和30年代(1955年)初頭から、パキスタンからのタブリーグ派の伝導団が来日し、その使節は毎年のように熱心に日本国内を布教して廻った。また昭和40年代(1965年)末(1973年)には、かの第一次石油ショックが勃発して、国民の日常生活を脅威し、その毎日の生活に欠くことのできない石油の産出国が、実はサウディ・アラビアをはじめとする中東のイスラーム諸国であることにやっと気がつき、にわかにイスラームへの関心が再び強まるようになった。

 

この絶好のチャンスに乗じ昭和35年(1960年)から日本に長年の留学経験のあるサーリ・サマライ博士が再びサウディ・アラビアから日本へ復帰し、現在のイスラミックセンター・ジャパンを開設して、本格的に組織的なイスラームのダアワ活動を開始した。だが、その前途はまだ遼遠でこれからのセンターの役目とやらなければならない責務は少なくない現状である。

 

 

(2)日本人はイスラームをどう思っているか

 

では一般に日本人はこのイスラームという比較的新しく日本に入った外来宗教をどう受け取り、どう考えているのであろうか。率直に言って、ごく最近まで大多数のおよそ90パーセントまでの日本人は、イスラームがアラビアの不毛の砂漠からおきた殺伐とした、野蛮で好戦的な低劣な宗教ではないかと誤解しているのが、遺憾ながら計らぬ現状であった。まず一夫多妻主義とか、飲酒や豚肉類は禁止されているとか、あるいはまた一年に一回、一ヶ月も断食をしなければならないとかいう、戒律や規律のすこぶる厳格な宗教であるという先入観が日本人の頭にこびりついていて、こうした既成概念が頭を支配していた。

 

ことにイスラームの逆宣伝にいつも第一に槍玉に挙げられるのがこの「一夫多妻」で、これを許容しているような何か淫靡な、みだらな宗教であるかのように取られがちである。これにはきちんとした説明と注釈を要するのであるが、それは別項に述べることにして、ここでは割愛する。

 

以上のように、要するにイスラームと言えば先に述べたような戒律ばかりにやかましくかつ煩雑な礼法の宗教であるという印象を一般に与えがちである。そのため、もうこれだけでイスラームへの関門の第一歩で辟易してしまい、これを敬遠し忌避してしまうケースがほとんどである。いわゆる世にいう食わず嫌いである。これではいつまでたっても「百年河清を俟つ」に等しい。

 

こうした誤解や曲解の第一は、明治開化の初期に欧米諸国の先進文化を摂取するため現地へ派遣された留学生たちが、キリスト教国の洗礼を受け、思想的にもそれに洗脳された結果であると言えよう。留学を終え祖国日本へ帰還後も彼らはキリスト教徒たちの言説に惑わされ、イスラームと言えば野卑で低俗な信仰であると考え込んで、学校の教科書や各種の図書にこれら優秀なエリート留学生たちが執筆掲載し、それらの書物が世に多く出回ったのがそもそもの遠因の最大なものであった。

 

これが明治初期からつい最近まで受け継がれてきた日本の悲しむべき偏見の現実であった。ごく少数の例外的なケースを別にして、これが極めて一般的な傾向であった。

 

次に、偏見の第二の原因として、第二次世界大戦終了までは中東諸国をはじめアジア、アフリカ諸国の大半の国々が欧米列強のために植民地化され、その支配下に隷属して彼らの収奪に任せきりの属国や半独立国が大多数であったことがあげられる。そのため、そんな文化も低劣で経済力もひ弱な後進国の人々が信仰している宗教なんてつまらない非文明的で低俗な信仰である、と早合点して頭からイスラームそのものを軽蔑し、馬鹿にしてかかっていた。換言すれば、キリスト教文明のほうがイスラーム文明よりも優秀であるから、その宗教もまた前者の方が後者よりはるかに優秀であると断定してしまったのである。

 

このように、今一歩深く突っ込んで冷静かつ客観的にイスラームについて省察する精神的余裕を持ち合わせなかったことも、その原因の大きな一要素であった。但し、以上のまことに好ましからぬ風潮も、客観的な時代の推移と進展により暫時是正され、従来のような極端なイスラームに対する誹謗や中傷は影をひそめたが、なおこれを世界三代宗教の一つとして尊敬するまでには、一部の篤信家を除きまだまだかなりの歳月を要するものと思われる。

簡単に要約して言えば、平成の今日では昔の明治、大正、昭和時代のように、少なくともイスラームと聞けば頭から小馬鹿にするような人々は少なくなったが、まだまだ積極的にイスラームに入信してムスリムになろうとする者の数は、全体としてけして多くはないということである。それについては、相当のページ数を要するので、また別の機会に解説することにする。つまり、学者や研究家は今後ますます増加する一方であるが、さて完全な一個のムスリムとしての生活を守り、これに順応するためにはやはりかなりの距離感があることに気付き入信するのを躊躇するためではないかと思われる。

 

 

(3)イスラームとは何か

 

ではイスラームとはいったいどのような宗教であるのか。イスラームとは、ふつう「平安」とか「清純」とか訳されているが、これだけではまだ不十分である。一言で要約すれば、唯一神アッラーに絶対帰依し随順して平安を祈念することを根本教義とする宗教で、少し難しい言葉でいえば、天地の公道と人倫の常経をあらゆる角度と分野から教え説いているのである。やや古臭いかもしれないが、戦前日本人が老若男女の区別なく一人残らず必読暗誦した「教育勅語」とその一部を除いて教旨は不思議なほど酷似している。読者の方々も、論より証拠で、一度併読して参照を試みられるとよい。

 

難解なイスラーム神学やイスラーム哲学のような深遠にして超高度な教学はそれぞれ専門の学者、研究家に任せるとして、まず、イスラームの唯一啓典である聖クルアーンの啓示は、我々人間として実際にどうあるべきか、またあらねばならないか、人間としての日常生活のあり方、進むべき指針と方向を淳々と解き明かして、現実に即した生活の実践規範を明示している。また一個人としてのみならず社会人としての他人との接触、交渉のやり方まで教示しているのである。そうした我々の日常茶飯事の実に手近で卑近な道から説いてあり、今から1400年以上も昔に発祥したこの宗教の教えるところが、今日の日進月歩の科学技術の開発された超高度文明の時代でも、少しの矛盾もなく充分に通用するのである。それはムスリム人口が今日減るどころか、今後もますます増加する趨勢を目の当たりに見ても明白に判るであろう。

 

(4)何が反イスラームか、イスラームについての誤解

 

イスラームとほかの仏教やキリスト教などの宗教と比較してその差異は細別すれば切りがないが、根本的な相違は要するに仏陀や十字架その他の偶像を拝まないことがその最大の特色とされている。すなわち、イスラームはほかの宗教のように偶像崇拝教ではない点である。

 

ではイスラームはいったい何を崇敬して拝むのか。一言で言えば、天地創造の太古より空間のどこにも偏在する、そして我々の肉眼では見えない不可視的な(これをイスラームではガイブと称す)、全知全能の神アッラーを唯一無二の神として絶対信仰の対象とし、かつその使徒である預言者ムハンマドを尊敬し神のみ使いとして信じるのである。これに反して、アッラー以外のいかなるものでも崇拝することは、当然イスラームの教えに反することになる。

 

次にイスラームに対するはなはだしい誤解についてであるが、先にも述べたように欧米キリスト教国の心なき人々の故意による逆宣伝によって、著しくその本来の姿をゆがめられ、およそかけ離れた宗教として、日本人の間に伝わり広まった。最近は年々それに気付きその誤りを自ら悟り、あるいは他から教示されて反省してきた者も多いが、それでもなお頑なにイスラームを軽蔑し、中には劣等視している者もいまだにあるのが現状である。

 

よくこれらの人たちの口にのるのが先にも述べた(2)項の「一夫四妻」とか「一夫多妻」であり、これをイスラームでは公然と許容し、極端な場合はこれをむしろイスラームが進んで奨励しているかのように勘違いをしている人がいる。

 

では事実はどうなのか。これについては識者の間では最近その誤りについてだいぶ是正されてきたが、その歴史的沿革をたどってその真実を知れば、なるほど、と理解できることであろう。すなわち、イスラームの教えが啓示された当時のアラブ世界は、異教国、異民族と絶えず交戦し、平和な時代は少なく、常に戦時状態が続いていた。従って男子の多くは戦士として戦場に赴き、また当然戦死するものも多く、その婦人たちは寡婦となって生活に困窮し、路頭に迷う例が少なくなかった。また婚約者を失った女性たちも多く、今日のように社会厚生制度も福祉施設もないこの時代には、これら未亡人や婚約者の女性たちを救済する唯一の方法が婚姻による保護制度であった。しかもその夫たるものは、平等にその複数の妻を取り扱い、差別なく肉体的にも経済的にも彼女らを愛しかつ扶養できる男子に限る、という厳しい条件が不可欠となっているのである。従って、当時における王侯貴族や富裕者ならばいざ知らず、一般の庶民階級の者にはおよそ縁が遠い話であった。現に昔はともかく、現在のイスラーム世界で複数の妻帯者の例はほとんど見られない。また一方、イスラームの草創期には、一人でも多くのムスリム人口を増加して教勢を拡大するためにも、これは有効かつ必要な手段であって、日本でもかつて戦時中は、「産めよ増やせよ」とスローガンで人口増産を奨励したのと同様である。

 

ところで、非イスラーム国はどうであろうか。表面は一夫一妻を建前としているが、その実かげでは蓄妾したり愛人とか情人を公然の秘密として黙認している。日本もその例外ではない。こうなるとイスラーム諸国の方がよほど正々堂々としていて前向きの姿勢ではないか。

 

全ての誤解は、明治開化の時代に欧米キリスト教諸国の人々に洗脳された結果がいまだに糸を引いているのである。こうしたことが判明すれば、この種の誤解はおのずと氷解し、一般の人にも釈然と理解される事であろう。

 

また年に一度、一ヶ月にわたる断食節(ラマダン)の断食行も、けして誰にでも無理強いするわけではなく、病弱者、旅行者、妊婦、幼児などにはそれぞれ病気が回復してからとか、旅を終えてからとか、あるいは妊婦は無事出産してからとか、色々除外例が設けられ、何がなんでもかんでも頭から一律に断食を強制する教えではない。

 

これはその断食行についてだけでなく、すべての点においてイスラームはきわめて弾力性と包容力のある、酸いも甘いも噛み分けた教えであるのがその特色の一つとなっている。こうしたことも、少しイスラームを知ればすぐ納得できることである。

 

 

5)日本人一般の考え方とイスラームの共通点

 

A 清潔

 

日本人は古くから清潔の民と自ら称して、それを誇りとしていた。日本には山にも野にもきれいな水が豊富に湧き流れ、その上気候も四季平均して温和であったため、日本人は自然と清潔の民となったのである。

 

他方、イスラーム諸国は概して地勢は殺風景で、山にも樹木が茂らず、水も流れない不毛の砂漠の地が多い。しかしかえってそのために不潔にならぬよう意識的に礼拝前には必ず沐浴し、また大小便の後には小浄して常に身の清潔の維持に努めている。(注、清い流水のない場合は清浄な砂で代用する。)これは日本人が神社に参拝して社前に額づく前に必ず口をすすぎ手を洗うのと一脈共通したものがある。

 

B 信義

 

日本人は総じて信義を尊重する民族である。一旦約束したことは必ず実行する。約束を反故にすることは日本人の恥とするところである。

 

イスラームの人たちもまたそうである。約束を破棄するようなことは聖クルアーンで固く禁じられている。約束を一旦したからには必ずそれを実行に移すのが建前である。これがイスラームの本領とするところで、こうした点もまた我々本人と共通した点である。

 

C 礼節

 

また、礼節をわきまえていることも彼らお互いに相似している。日本人も昔から礼儀と節操を重視し、それらを守らない人は他から相手にされなかった。

 

一方イスラーム側はどうであったか。かれらの日常生活の指針と規範を聖クルアーンはその啓示によって教え諭し、例えば知人をその家庭に訪問する際のマナー、あるいは外出して道路を歩く場合の注意ごとに到るまで細部にわたって礼儀作法を説いている。室内に入るときも階段を上がるときも必ず年長者を先にする。また、衣類の袖に手を通すときも右手から、座位から立ち上がって一歩踏み出すときも右足からである。

 

D 救済と喜捨

 

日本人は、貧しい者、弱い者、そして恵まれない人たちを救い助け、施しをすることを古来美徳としてきたが、イスラームはこの点我々日本人よりむしろ積極的であり、実践的である。

 

なぜそうなのか。それは聖クルアーンの中の啓示の随所に慈悲と救済の精神を強調し、その実行を積極的に勧めているからである。

 

ムスリムとしての勤めの基本である五本の柱の中に「喜捨」がうたわれている。これをイスラームではザカートと称して必須の徳目となっているのを見ても、一目瞭然である。

 

E 尚武

 

日本民族は古くから勇武の民族である。第二次世界大戦後、平和憲法の宣布によって、それ以前の軍国主義は徹底的に排除され抹殺されて、今日では下手するとあらぬ誤解を招き、とかく物議をかもす恐れがあるので、あまり勇ましいことや形式ばったことは表面に出さないようになった。

 

しかしここで一つ注意しておかなければならないことは、真の勇気とは、暴力的ないし侵略的、脅迫的なバーバリズム式の猛勇ではないと言うことである。それはあくまでも正義と天地の公道を守るための真の勇敢さである。

 

イスラーム諸民族も古来幾多の興亡があったが、みなイスラーム精神を順奉して勇敢であり、特にイスラーム黎明期の約百年はその最たるものがあった。それがゆえに、短い歳月の間にアラブを中心とした半月形の地域に新興イスラームの偉大なる教えが急速に伝導されたのである。これがもし蛮勇によるものであれば、また領土的野心や物質的欲望のみによるものであれば、今日見るようにイスラームは盛大な世界の三大宗教として十億のムスリムを帰依せしめるまで大発展はしなかったであろう。

 

こうした両者の相似点をいちいち挙げれば切りがないほど多く、様々な共通点が両者の間に発見されるが、この項はこのくらいに止めて置く。

 

 

(6)なぜ日本人はイスラームを受け入れるべきか

 

A いたずらに軽薄華美に流れる現代日本人のために

 

第二次世界大戦による敗戦で、日本はあらゆる有形無形の資産を破壊されたり喪失して、その被った被害は甚大であり、一時はあわや亡国寸前にまで陥った。

 

だがこの一大危機を混迷と虚脱から脱却して立ち上がり、あらゆる障害を克服し、悪条件を突破して一億国民が一丸となって日夜努力奮闘した結果、戦後わずか十年にして次ぎ次ぎと復興事業が進み、二十年にしてどうやら戦前のレベルに到達した。その後は年々驚くべき速度をもってその線をはるかに凌駕し、いまや政治、経済、文化、学術その他のあらゆる分野で世界に並はずれた頭角をあらわし、かつて亡国寸前で再起不能と見られていた日本が、第一級の強大国と言われるまでにのし上がった。

 

そのため国民生活は戦時中や終戦直後では想像もできないほど充実するばかりか、だんだん贅沢に慣れ、今度は物品を必要以上に浪費し、乱用しても気にかけず、日常の衣食においても暖衣飽食、美味美食を当然のように考えるようになってしまった。

 

このおごれる慢心は、カネさえあればという軽薄な唯物思想を増長させるために役立つのみで、造物主である神に対する感謝の念やありがたさ、もったいなさを微塵にも考えない。

 

こうしたカネとモノにのみ依存して日々を生きている人間は、時代が平和であり自分の周囲や環境が安定している時はよいが、ひとたび天変地災にあったり、不慮の事故や予期せぬ事態にめぐりあうと、もう狼狽し、喪心して為すすべを知らない。これは忍耐強く剛健で強靭な精神が養われていないからである。したがってその結果は、精神的にも肉体的にもひ弱な虚弱児に等しい存在である。現代の日本はこうした若者が都会にも地方にも激増している。豊富な物資、贅沢な食料がかえって国民を心身ともに蝕み、いためつける逆効果を招いた。これはまことに皮肉な現象と言えよう。

 

このような時にあたり、いや、この時こそ最高の効能のある良薬とも言うべきものが唯一つある。それはほかでもない。イスラームの教えとイスラームの精神を順奉し、これを実践することである。

 

このイスラーム発祥の地アラビアは、古来荒涼とした不毛の砂漠であり、イスラームはその苛酷で厳しい自然環境の中に誕生し育成した宗教である。したがって、おのずから質実剛健で困難や欠乏に耐え、それに屈することなく敢然として前向きの姿勢で耐乏の生活に甘んじる、という実に積極的な生活態度を教示しているのである。

 

早い話が、その一例としてイスラームの「五行」の一つである断食などもそうである。一般にイスラームのラマダンとして最近よく教外者にも知られるようになったが、実は何もこのラマダン月のみでなく、ムスリムは今日一日断食をしようと心に決めると、随時にこれを実行して、食べ物のありがたさを肌をもって痛感し、これを与えてくださった神アッラーに感謝するのである。

 

こうした修練や修行をよく重ねておれば、少々の危機や空腹、喉の渇きにもよく耐えて、少しも痛みを覚えないのである。贅沢に慣れきった者のようにすぐギブアップすることなく堅忍不抜の耐久力が常についているから、少々のことではけしてへこたれたり弱音を吐いたりしない。

 

このような観点からも、特に戦後に成長した若い人々はぜひ、この簡素な生活、節倹の日常を持って旨とするイスラームの教えを実践するムスリムの生き方を模範として受け入れ、大いに歓迎して参考にするべきであろう。

 

B イスラーム精神に立脚した友好を

 

今日の日本では、アジア・アラブ・アフリカ諸国との友好親善を提唱し、またこれをスローガンに具体的な行動を開始している個人や団体も少なくない。例えば海外からの留学生、技術研修生らを受け入れ、これを世話し、いろいろな面倒を見たり援助の手を差し伸べている例である。

 

そしてまた、それなりに効果を上げている協会や団体もないではない。しかしその半面形式的なお座なりのものも比較的多いのである。

 

このように国際的交流の中では、けして意図的にそうしているのではないが、相手側の風俗習慣について無知のため、好意的にしてあげたことがかえって逆効果となって、彼らから反発されることも再三ある。またその風俗習慣や言語を多少理解していても、イスラーム諸民族との付き合いでは、その宗教上の戒律や教義に抵触するようなことは厳重に注意すべきである。

 

一つのよい方法としては、自分自身が自ら一個のムスリムとなるべくイスラームの道、すなわちアッラーのお導きを仰いで、イスラーム諸国の人々と接触し交際するようになることである。そうなれば、その交わりには魂がこもり、真心が入っているから、単なるうわべだけの親睦ではなく、相手の心の琴線に触れる何かを与えることのできる真の友好関係と相互理解を得ることになるであろう。これが可能となれば、その国に対する友好、親善も名実ともに真の生きた友好、親善となる。これからアジア、アフリカ、そしてアラブにまたがる十億のムスリムと仲良くし交流を深めてゆくためには、ぜひイスラームを理解し、イスラームの道に帰依するのが一見遠回りのようで実は一番近道である、ということに必然的に思い至るであろう。

 

以上は今から十数年前に逝去された筆者の恩師、故ハッジ・オマル三田了一先生が生前常に筆者らに語っておられたご高説である。もし我々現代の日本人が、戦後の日本にとかく欠けていたこの質実剛健、質素簡略を旨とするような人間になれば、すなわちイスラーム精神を受け入れてこれを現実生活に適用するようになれば、それは正に「鬼に金棒」で、日本人はそれこそ世界中で名実ともに最も優秀な国民と称しても恥ずかしくはないであろう、と先生は述べておられた。これは思うに、非常に理にかなった的確な言葉である。これはとりもなおさず、戦後成長した人間はとかく頭でっかちの人間で、骨のない人間が多いことを憂えてのご意見であり、頂門の一針として我々は率直にこれを受け取るべきであろう。

 

これは要するに、友好外交も国際交流も単に技術や経済や文化を介してのみならず、もっと心の深層に流れる相手の魂に触れるもの、換言すればこの場合イスラーム精神が何であるかを認識把握してその精神を尊重した上での交際こそ最高の、そして最善の友好である、ということである。

 

 

(7)むすび

 

いま顧みるに、戦前の日本人は天皇を中核とし、また精神的な支柱として一心同体となり「忠君愛国」の一念に結束を強化してきたが、第二次大戦での敗戦により、この精神的構造は一挙に崩壊し、これに代わって民主主義、自由主義の美名のもとに全て欧米化することを最上とした。

 

そのため従前の悪弊や種々の障害は排除されたが、また一面、日本固有の伝統的美徳もただ古臭いという名のもとに廃棄され、いまや道義はすべて地に落ち、その結果一本の健全な背骨をも喪失して心身ともに軽薄で軟弱な国民が多くなったのは、我々日本のためにはなはだ遺憾な風潮と言わねばならない。

 

現に青少年の身長は、外見非常によく伸びたが、胸囲は狭くなり、一見その体格は大きくなったように見えてもその実、持久力、耐久力に欠け、戦前のそれに比べて著しく低下しつつあるという憂うべき傾向にある、ということが先年日本の厚生省が公表したところからも明白である。これは毎日の食事も美味美食でグルメ嗜好に走り、その反面鍛練を目的とする運動が足りないのがこの最大の要因であると、その道の専門家が強く指摘している。

 

もしこのまま行けば、今後数十年を経ずして先にも述べたごとく「頭でっかち」の日本人ばかりが多くなり、肝心の「魂」の抜けたひ弱な人間が多い国となる。いや、残念ながらもうその兆候は現に進行中である。こうした有様をかんがみても一体どうすればよいか。その対処療法は色々あるであろうが、筆者はまずこのイスラーム精神をよく理解してその真髄を把握すれば、おのずから心身ともに強く健康な人間となり、また将来日本人がアジア・アラブ・アフリカの諸大陸にまたがる十億のムスリムたちととも心の通った真の友達として彼らに大いに歓迎されることにもなるであろう、と考える。まさに一石二鳥とはこのことである。

 

来るべき二十一世紀は、欧米物質文明全盛の時代がようやく衰えて、数百年間斜陽の悲運に甘んじていたかのサラセン文明の系統を継ぐ新イスラーム文化が返り咲くムスリム時代が再び訪れるのではないか、と予言している歴史家もいる。

 

我々日本人は、いつまでも偏狭で近視眼的な視野にとらわれることなく、これ活眼を開いて、来るべき新世紀に向かって奮起し、飛躍発展すべきではないだろうか。そのためには、まずイスラームとは何であるかを知ることからはじめよう。

 

ハッジ・ムスタファ・小村不二男

 

(完)

『アッサラーム』56号、57号より